「茶壷」鑑賞

2020.03.30 Monday

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     今日、衛星劇場で歌舞伎の「茶壷」が放送されたので、鑑賞しました。衛星劇場を視聴できる環境が続いているのです。今日放送されたのは今年公演されたものです。迅速に放送されたのです。この演目は狂言がもとになっています。狂言の方ではこの演目はまだ鑑賞したことがありません。歌舞伎にされたのは江戸時代ではなく大正時代です。

     

     ストーリーには歌舞伎と狂言とで差異があるようです。歌舞伎でのストーリーにはメッセージ性はあまりないように感じます。演出については、舞の多い演目でした。目代は服装が動きにくそうなので、舞のためには高い技術が要りそうです。酔っ払いと詐欺師と目代が一緒に動く場面では、二人三脚のような技術が要りそうです。これらの技術はアクロバットとは異なったものでしょう。衣装としては、三名ともある程度豪華な服装をしています。目代はそれでよいのですが、平民であろう酔っ払いと儲かっていないという設定の詐欺師とがこうした服装なのは不思議です。シェイクスピアの戯曲と同様に歌舞伎はかつては庶民の娯楽でしたから、もしかしたら娯楽性を高める工夫なのかもしれません。

    「石橋」鑑賞

    2020.03.27 Friday

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       歌舞伎の「石橋」が今日衛生劇場で放送されたので鑑賞しました。現在、僕は一時的に衛星劇場などの普段は見られない数チャンネルが見られる環境下にいるのです。今日鑑賞した「石橋」は2010年に公演されたものです。僕は能も好きですが、能の「石橋」は残念ながらまだ鑑賞したことがありません。一方で歌舞伎については獅子が登場する作品を他にも鑑賞したことがあります。

       

       西洋の前近代の演劇であれば道化が務める笑いを誘う箇所を、修験者などが務めていました。不思議なのは舞台設定としては日本ではなく唐なのに、なぜ修験者が登場するのかということです。反対に、漢文風のセリフがあった点は、舞台設定と合致していると思います。日本では高校までで教えられることになっている漢文の知識が身に付いていれば、このことには気づくでしょう。もっとも僕は高校の教師のおかげで漢文を身に付けたわけではありませんが。脇役たちによるアクロバットもありました。メイン・キャラクターたちよりも脇役の方が北東アジアの古典演劇ではアクロバットを担当しがちな気がします。サンスクリット語で使われるデーヴァナーガリーをイメージしたデザインが文殊菩薩の上着に施されていた点は、文殊菩薩がインドで布教したとされていることからすれば、凝った衣装と思います。

      大量生産に反対したポストモダニスト

      2020.03.25 Wednesday

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         ポストモダニズムの支持者であるポストモダニストは、理性に反対します。日本では会計学者にもポストモダニストがいます。そして合理的な大量生産にポストモダニストは反対してきました。新型コロナウイルスによって、マスクなどが現在日本を含め世界各地で不足しています。20世紀からハーバーマス先生はポストモダンと相いれない学説を唱えていましたし、ソーカル事件もありました。ポストモダニストは大量生産に反対した点でも誤っていたのです。そしてこの誤りは、誤りの論証ではなく事例であるという点が特徴です。経営の実務においてポストモダニズムが大量生産の妨害となっていたかは存じませんが、教育・研究にはこの誤りは意味を持ちます。

         

         アカデミック・インテグリティを持った研究者は、自説に深刻な疑義が生じれば無視や隠蔽ではない何らかの対応を採ることがあります。そのためのルートがなければ対応を採れなくてもその研究者の責任とは言いがたいですが。ポストモダニストは価値相対主義の日本社会では重宝されているでしょうから、対応を採りたければ容易に宣言を掲載させてくれたり音声や映像で報道してもらえるルートを持っていることでしょう。ポストモダニストがこの新しい事例によって誤りを認める宣言を出すアカデミック・インテグリティを持っているか気になるところです。ただしポストモダニストは理性に反対なので、誤っていたからといって何が悪い、と平気で言うかもしれません。

         

         もちろんポストモダニズムにも結果的には理性に反していない点が少しはあるかもしれません。しかし貢献をしのぐ害悪をポストモダニズムは学問にもたらしていそうです。西洋の合理主義を隠したり歪曲して正しく教えず理性に反していることを大学などの高等教育機関の教員が学生に吹き込めば、日本では続いている東洋の蒙昧主義が推し進められます。これから大学などの高等教育機関で学ぶ新入生の方々や学生の方々には、ポストモダニズムに騙されないでいただきたいところです。新入生や学生には、専攻が社会科学であれ人文科学であれ自然科学であれ西洋の合理主義に関心を持っていただきたいところです。

         

         

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        ボーイスカウトと町内会

        2020.03.23 Monday

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           ボーイスカウト米国連盟が2月に破産を申請しました。不祥事によるものであり、被害者に対してボーイスカウト米国連盟は謝罪の表明もしました。ボーイスカウト米国連盟は公益性に反していたのであり、NFPとは言えない団体と化していたのです。そして、町内会をNFPに含めかつ含めていることがタイトルからしても決定的意味を成すペッカネン先生のご著書であるJapan's Dual Civil Societyは、大平正芳記念賞と日本NPO学会の研究奨励賞を受賞しています。このご著書は和訳も発行されています。

           

           町内会がNFPであるということはスピーリ先生がThe Japan Timesで公開した論文で、おそらくはハーバーマス哲学の観点から、既に否定されていました。スピーリ先生の論文にはペッカネン先生の学説への反証事例となるものも一応は含まれていました。町内会に都合の悪いペーパーは日本では掲載してもらいにくいでしょうから、スピーリ先生の論文は貴重です。掲載当時のThe Japan Timesの品質は高かったとも言えます。

           

           しかし今回の破産申請はペッカネン先生の和訳における学説への強力な反証事例です。ペッカネン先生は町内会に加入するよう圧力があることを、NFPであるボーイスカウトに加入するようアメリカで圧力があることを論拠の一つとして、加入者の自発性を否定しないとしていたのです。そして不祥事によってボーイスカウトがNFPでないと示されたわけです。もっとも、誤訳か意図的なものか不明ですが、該当箇所は原著においては和訳と比べて強くは主張されていませんでしたが。ポパーは反証事例によって学説が更新されることで科学は発展するとしていました。ペッカネン先生やペッカネン先生に賞を与えた各団体が今回の破産申請にどう反応するのか気になるところです。ペッカネン先生が新たな学説を唱えるようになり、ペッカネン先生に賞を与えた各団体が今までとは違う学説の提唱者に賞を与えるようになれば、興味深いです。

           

          参考文献

          Robert Pekkanen, The Japan's Dual Civil Society: Members without Advocates, Stanford University Press, 2006 (『日本における市民社会の二重構造』佐々田博教訳、木鐸社、2008年).

          John Spiri, "Chores, Charges and Chin-Wags: The chōnaikai Ties That Bind", The Japan Times, Jul. 21, 2014.

           

           

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          「万作を観る会≪第二日目≫」鑑賞

          2020.03.21 Saturday

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             コロナウィルスの影響で、日本でも劇場が閉じられたりしています。そこで松竹のチャンネルである衛星劇場が、「万作を観る会≪第二日目≫」を今日無料で公開してくれました。この無料公開は営利企業による芸術振興であり、公益性のある活動です。僕もこの無料公開を鑑賞しました。この無料公開は2017年に公演されたものです。狂言3作品が主要コンテンツであり、他にもコンテンツは含まれていました。

             

             狂言は中世には既にありました。そしてGHQの改革より前の日本には儒教の影響が今日よりも強くありました。2番目の作品以外での登場人物たちは、儒教というよりも仏教や神道を信仰しているようです。しかし儒教の影響が全ての作品から感じ取れました。「水掛聟」では、嫁は親ではなく夫に味方しました。この作品の夫も嫁も封建的なあるいは搾取がかった意味での孝には縛られていません。「咲嘩」では、家臣が主君に実質的に逆らっています。この作品の家臣は封建的なあるいは搾取がかった意味での忠には縛られていません。どちらの作品も笑いを誘う内容でした。「牛盗人」では、児童が親を救い、奉行が児童を尊重しました。この作品の児童には孝があり、奉行には仁があったのです。狂言でありながらもこの作品には笑いを誘う要素はなく、むしろメッセージ性の高い作品でした。この作品も悲劇ではなく喜劇なので、笑いを誘わなくても狂言に分類できるのでしょう。僕は儒教を信仰していないので儒教の徳目には賛成しませんが、信仰している人々にとってはこの作品の児童や奉行は賞賛すべきなのでしょう。

             

             ところで、最後の作品の奉行は盗人による欺瞞に惑わされずかつ (おそらくは多神教の) 神への信仰心を持っているので、偽の親に惑わされずかつ時期によっては父なる神への信仰心を持っていたソロモンに似たところがあると感じます。偶然なのか、ソロモンからの影響があるのか、どちらなのでしょうかね。

             

             様々な芸術に関心のある僕は日本の古典芸能も好きなのですが、それまで知らなかったことに鑑賞することで気付くことがまだあります。僕は歌舞伎での子役の登場は見慣れている一方で、能楽での子役の登場はこの無料公開の最後の作品ではじめて見たかと思います。歌舞伎での子役は大人の役とは声の出し方が異なっていますが、狂言ではそうとも限らないのですね。存じていませんでした。能ではどうなのでしょうかね。

            集団主義の証拠:和の文化

            2020.03.20 Friday

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               日本文化がアメリカ文化と比べて集団主義である証拠の一つは、和の文化の存在です。日本で主流な宗教は世界三大宗教で見れば仏教です。仏教の庇護者だった聖徳太子が和を唱えたことは、義務教育で教えられていることでしょう。和の文化は集団主義です。おそらくあまり知られていませんが、聖徳太子は和に逆らってはならないとも唱えました。結局は集団主義に逆らってはならないということになってしまいます。そして日本文化は今日でも和の文化なのです。一方でアメリカで主流な宗教はキリスト教です。そしてマタイの福音書では、イエスが和を否定しています。日本のキリスト教は日本文化で歪められることがありそうですが、聖書は個人主義です。

               

               日本で仏教を信じない人々にまで和の文化を押し付ける際は、仏教原理主義から押し付けるか、押し付けをする本人も仏教を信じていなくても文化として和の文化を受け入れているから押し付けるか、のどちらかが多いかもしれません。しかし日本社会に都合が悪い以上は、調査すること自体も結果を報告することも困難でしょう。また、仏教徒の方々や仏教の学校などの団体の関係者が自分たちの内部でだけ和の文化に従うことを義務とするのは、信教の自由です。しかし特定の宗教に基づかない西洋倫理学が示す倫理の真理は少なくともある意味で個人主義なので、仏教を信じない人々への和の文化の押し付けは倫理に背きます。

              動物とSROI

              2020.03.19 Thursday

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                 SROIは功利主義に立脚しています。功利主義では、ベンサムであれシンガー先生であれ、人の効用のみでなく動物の効用をも考慮します。しかし最も国際的に普及しているであろう手引きにおいて、動物の効用はSROIの分子にカウントされていません。僕が気になるのは、動物の効用をSROIの分子にカウントする論文や事例があるかどうかということです。もしないならば、動物の効用をSROIの分子にカウントすることが可能かどうかは、研究する余地があるかもしれません。こうした研究の実務への影響としては、動物保護に関わるNPO法人や民間の公益法人、そして動物実験をする学校法人に特にもたらされることでしょう。

                 

                 

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                あるNPO法人へのシンガー先生の祝辞

                2020.03.16 Monday

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                   2017年、アニマルライツセンターという日本のNPO法人の30周年に、効果的利他主義のシンガー先生が祝辞を寄せました。シンガー先生は存命の哲学者で最も、SROIを研究している僕にとって賛同できる点が多い人物と思います。このNPO法人の活動は、公式ウェブページからはそれなりに公益性があるように見えます。シンガー先生の祝辞は、功利主義に基づいて日本でも公益を促進したいというシンガー先生の希望からのものでしょう。そもそも功利主義においては、既にベンサムが動物への配慮の必要性を唱えていました。この記事での話の前提として、シンガー先生の祝辞全体としては公益性があると僕は考えています。この記事では特に言及しない限り、日本語訳ではなく英語原文に準拠します。

                   

                   シンガー先生の祝辞では、動物の権利の発想が西洋からの押し付けではないと書いている段落で、仏教とキリスト教への言及があります。そして、この言及がキリスト教神学の観点からは誤っているように思います。日本には西洋に悪意を持つ人々がいるので、日本人多数派の共感を誘えそうなことを書いておく必要はあったのでしょう。またベンサムがパウロを批判していましたから、その影響もあるかもしれません。パウロは禁欲主義であるという前提をしたベンサムのパウロ批判が合っているかも怪しいのですが。

                   

                   まずシンガー先生は、人による動物の支配という発想をキリスト教がしているとします。シンガー先生は旧約聖書の創世記のあたりをご論拠になさっているのかもしれません。しかし日本においては関東学院の元学院長でもある神学者の小河博士が人の動物への責任を唱えていますし、西洋においてはホイートン大学の近年の教科書でも…その教科書はホイートン大学における位置づけが複雑なのですが…被造界に対する人の務めという教義が書かれています。

                   

                   次にシンガー先生は、不滅の魂を持つのは人だけで動物は持たないという発想をキリスト教がしているとします。当該NPO法人のウェブサイトにある日本訳ではここは上手く訳されていません。動物には洗礼をしないというのがキリスト教では基本なことが、シンガー先生のご論拠かもしれません。新約聖書にあるローマの信徒への手紙からすると、動物も最後の審判の後で復活しそうです。そのため、不滅の魂を動物も持つという解釈が正確に見えます。動物に洗礼をしないのは、洗礼が必要なのにしないのではなく、洗礼が必要ないからでしょう。なお、聖霊ではなく魂という概念が旧約聖書以来聖書にあることをご存じなようなので、シンガー先生は少なくともある程度のキリスト教の知識をお持ちなのでしょう。

                   

                   僕は仏教原理主義者が非人道的な発想をしていると知っていても、僕は仏教徒ではないことも一因で穏健な仏教については世界史で語られる程度の知識しかほぼありません。そのため仏教と動物の権利についてのシンガー先生の発想が合っているかは判断が困難です。仏教徒の方々がシンガー先生の祝辞のこの箇所をどう捉えられるのか、気になるところです。

                   

                   シンガー先生についてペーパーで言及する際に、シンガー先生の謝辞を参照する機会はあるかもしれません。キリスト教神学に関わる箇所に限らず、シンガー先生の祝辞には深い意味が込められていることでしょう。例えばやはり日本語訳では上手く訳されていない2文目における「どんな文化においても」というシンガー先生の表現は、文化というものへのベンサム以来の功利主義の見解を反映していることでしょう。皆様は、シンガー先生の祝辞は合っていると思いますか?思いませんか?それはなぜですか?

                   

                  参考文献

                  アニマルライツセンター「アニマルライツセンターの歴史」『認定NPO法人アニマルライツセンター』アニマルライツセンター、2019年 (https://arcj.org/about-us/history/)。

                   

                   

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                  『トリプリケート』を聴く

                  2020.03.14 Saturday

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                     ノーベル賞受賞者のボブ・ディラン氏の3枚組のCDである『トリプリケート』を購入して聴きました。収録されている曲はボブ・ディラン氏が作詞・作曲したものではなく、アメリカン・スタンダードです。僕はクラシックや各民族の古典音楽はよく聴きますが、それらに含まれる例外を除けば20世紀以降の曲を自分から聴くことは僕としては珍しいです。『トリプリケート』においてボブ・ディラン氏はボーカルです。明るく感じられる曲が数曲あり、それらが僕には好みでした。各局は部分部分がその曲の全体に即しており上手く作曲されている、と感じます。希望としては、少々値段が高かったのでもう少し安いと嬉しいです。

                    功利主義を支持

                    2020.03.12 Thursday

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                       僕は少し前には功利主義の便利さを認めていました。最近は、自然法思想と関係する徳倫理学よりも、またカント哲学よりも、功利主義を僕は支持しています。この支持は、SROIをはじめとした研究においても研究以外においてもです。支持するように倫理学の学説間での僕の選択が変わった理由の一つは、功利主義は検証なり験証なりがしやすいことに惹かれるようになったからです。功利主義であれば、実例を用いて検証や験証ができますので、科学的な倫理学の発想なのです。

                       

                       自然法思想やカント哲学が科学でないとは思いませんが、功利主義はより科学に向いているということです。また自然法の存在も僕は否定しませんが、徳倫理学よりも功利主義をベースにして社会における出来事を検討するのが望ましいと考えているのです。なお近年の日本では、倫理学に関心のある人々の間でも徳倫理学の方が功利主義より支持されているかもしれません。そうだとすると、徳倫理学が支持される理由はそれなりにあるかもしれませんが、その理由とは何か知りたいところです。皆様はどういう理由でどの学説を支持しますか?

                       

                       

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